MY HAPPY !!

ふと目が覚めて、二度寝が決まらず、どうしたものかと平子は起き上がった。
隣ではまだ浦原が大人しい寝息を立てながら眠っている。
猫の子にするように前髪をするりと撫でてから、
体を起こして、縁側沿いの戸をゆっくりと開けた。
縁側の向こうに、まだ夜が明けたばかりの朝靄に翳った庭が見える。
何とはなしに見ていると、もぞりと身じろぐ音がした。

「平子、サン…？」

寝起きのくぐもった低い声に呼ばれて振り返ると、
目を擦りながら浦原が体を起こしていた。

「すまん、起こしてしもたな」

「いいっスよお･･･、どうしたんスか？」

と寝ぼけながら浦原が問うのに、

「目、覚めてしもて…」

と答えて、
それから、
ふと、どうしてか海に行きたいと思った。

そう言えば今年の夏は行けなかったことを思い出す。


「平子サン…？」

だんまりをつづける平子を浦原が呼ぶ。
ふいに思い立って、

「なあ、海行かへんか？」

と、言った。
無茶なことを言っている覚えはある、
浦原が行かないといったらよそうと思ったが、
どうしてか、言葉通りになるような気がした。

「はあ…今からっスか？」

と、確かめるように聞いてくるのに頷くと、

「じゃあ、上着…平子サンもいりますよね」

とのそりと浦原が起き上がった。

 

 

瞬歩で行けば、浜辺なんてすぐだ。

 

しょっぱい磯の香りとひんやりとした潮風と、
時折ざざん…と波が寂しげに凪ぐ。

浦原が先に歩いて浜辺に足跡をつける、
それを平子はなぞりながら、朝の浜辺を当て所なくゆく。

浜の向こうにはビルが並び、海の向こうには空が見え、
そのどれもがまだ白みがかっている。

「うう、寒いっス」

と浦原が言うのに、

「あほ、俺もや…帰ったら、あったかいコーヒー飲みたいわ」

「いいっスねえ…」

なんて他愛ない言葉を交わす。

ここはまるで波の音しかないかのように静かだ、
人の声も、町の音も、遠くまだ聞こえない。

これじゃあ世界に二人しかいないのと変わらないなと妙な心地になった時、
潮風が髪を嬲った。
ばたばたと仰ぐ風に、

「うわあ…っ」

と浦原が間抜けな声をあげる。
平子は鼻を掠める海の匂いが、頭に入り込んで、デジャブが起こった。

それはいつの日だったのか、
ただその時も浦原がいた、眠ってもいたが。
平子は今日みたいに先に目を覚まして、長い髪をかき上げて、
隣でぶるりと震える浦原に布団を引き上げてやった。
それから、空を見上げて、朝の空気を吸ったのを覚えている。

あの日迎えた朝の空が、
今日に続いているのなら、
どこかで知っていたのだろうか。
何もかもこれまでのこと全て反故で、
それだけのことが起こったけれど、生きている今の自分たちの姿を。

ふと、目の前を歩く浦原の背中を見て、足を止めた。
こんな吹きさらしの中じゃ、二人ともただの人と変わらない思った、
いつ波に消されるかもわからない、儚くてちっぽけな足跡を残す、ただの人だと。

「…平子サン？」

立ち止まった平子を不思議そうに振り返る浦原も何も変わらない、
あの日のまま、そこにいる。
それ以外、何ももたない、何もいらない。


 

なあ喜助、このまま二人でどっか行かんか？と思わず言えば、
波の音に紛れて聞こえないッスと、浦原がとぼけて笑うので、
ああ、と思って、
せやなまた今度言うわ、と平子も笑った。




世界の果てまで行かなくても、とりあえず今は二人だけだ。

 

あの日も、そう思ったのだろう。

 

せめて、この朝が終わるまでは。